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宿業の自覚 [『歎異抄』を聞く(その39)]

(6)宿業の自覚

 悪人とは誰かに戻ります(3)。悪人とは「自分は悪人であると自覚した人」であると言いましたが、それを「宿業を自覚した人」と言い換えることができます。
 善導の有名なことばが頭に浮びます、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没しつねに流転して出離の縁あることなし」(『観経疏』「散善義」)。古来これを「機の深信」と呼びならわしてきたのですが、この文の「自身」のなかに「世々生々の父母兄弟」を含めますと、それが宿業の自覚となります。わが身の中に、生きとし生けるものたちが曠劫よりこのかた積み重ねてきた業のすべてを感じ、「よきこころのをこるも、宿善のもよほすゆゑなり。悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆゑ」と感じる。これが宿業の自覚であり、この自覚のある人が悪人です。
 では善人とは誰のことか。
 善をなそうとするから善をなすことができるのであり、悪をなそうとするから悪をなすのだと思っている人です。自力作善の人、みずから善をなそうとする人です。ときには悪をなすこともあるでしょうが、それはちょっとした気の緩みからで、できる限り善をなそうと努めている人、これが善人です。この人は「よきこころのをこるも、宿善のもよほすゆゑなり。悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆゑ」という感覚とは無縁の人です。「宿業なんて何のこと?」と思っている人、これが善人です。宿業を自覚している人が悪人で、自覚していない人が善人。
 ここまで来まして、「悪人〈にもかかわらず〉往生できる」のではなく、「悪人〈だから〉往生できる」のであることに入っていけます。結論を先回りして言っておきますと、宿業を自覚することが取りも直さず本願を自覚することですから、「悪人〈だから〉往生できる」のです。どういうことか?

タグ:親鸞を読む
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