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自覚ということ [『歎異抄』を聞く(その40)]

(7)自覚ということ

 宿業の自覚は取りも直さず本願の自覚であるということ、これがキーポイントになります。まずは自覚ということばからスタートしましょう。
 自覚ということばには「自」という文字がついていることから、どうしても「みずから」知るというニュアンスがつきまといます。「それを自覚することからものごとは始まる」などと言いますように、どれほど教えてもらっても自分から身に沁みて知ることがなければ何にもならない、というような意味あいでつかいます。しかし「覚」という文字に注目しますと、これは「覚る」であるとともに「覚める」でもあります。そして覚めるのは、目が覚める経験から明らかなように、「みずから」覚めるのではなく、気がついたらもう覚めています。「みずから」覚めるのではなく、「おのずから」覚めるのです。
 宿業の自覚にせよ、本願の自覚にせよ、自覚ということばは「みずから覚る」という意味ではなく、「おのずから覚める」という意味でつかわれています。
 眠りから覚める経験を改めて考えてみましょう。いままで夢の中にいたのに、ふと目覚めます。もう教師をやめて10年も経つというのに、いまだに教師時代の夢、それも楽しい夢ではありません、嫌な夢をよく見ます。そんな悪夢からふと目覚めて、「あゝ、やれやれ夢だった、俺はもうとっくに教師ではないんだ」とホッとします。夢は、どんなに嫌な夢であっても、自分で覚めるわけにはいきません。ときどき奇声をもらして、隣にいる妻に起こされたりしますが、とにかく自分では何ともならないのが夢です。そして気づいたら夢から覚めているのです。
 さてこの目覚めの経験から分かるのは、目が覚めてはじめて今まで夢のなかにあったことに気づくということです。夢のなかにあるときは、それが夢であるとはそれこそ夢にも思いません。それはリアルな経験であり、もう必死の思いでもがいています。夢から覚めてはじめて、「あゝ、夢だった」と気づくのです(夢のなかで、うっすらこれは夢ではないかと思うこともまれにありますが、それはおそらく半分覚醒しているのでしょう)。

タグ:親鸞を読む
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