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鸞菩薩とぞ礼しける [はじめての『高僧和讃』(その98)]

(18)鸞菩薩とぞ礼しける

 曇鸞讃の最後の一首です。

 「本師曇鸞大師をば 梁の天子蕭王(そうおう)は おはせしかたにつねにむき 鸞菩薩とぞ礼しける」(第54首)。
 「曇鸞大師そのひとを、南朝・梁の蕭王は、おわせし北につねにむき、鸞菩薩とて礼拝す」。

 曇鸞は北朝の北魏、そしてそれが分裂した東魏の人ですが、その曇鸞を南朝・梁の皇帝が菩薩として礼拝していたというのです。これは親鸞にとって印象深かったようで、正信偈にも「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼(本師曇鸞は梁の天子、常に鸞のところに向いて、菩薩と礼したてまつる)」と詠っています。東魏の皇帝もまた曇鸞を敬っていたことは、すでに第27首に「魏の天子はたふとみて 神鸞とこそ号せしか おはせしところのその名をば 鸞公巌(らんこうがん)とぞなづけたる」とありました。曇鸞が当時の中国全土においてどれほどあつく尊敬されていたかがよく分かります。
 しかしこの南北朝時代には二度にわたり仏教に対する大弾圧がありました。一回目は曇鸞が生まれる30年ほど前のことで、北魏の太武帝により容赦のない廃仏が行われました。二回目は曇鸞が亡くなって30年ほど後のことで、北周の武帝によるこれまた徹底した廃仏でした。道綽は出家したばかりのときにこの二回目の廃仏にかかり、還俗・流浪の苦難を味わっていますが、曇鸞は幸運にもこの二回の廃仏の間隙を縫うようにして生きることができ、しかも時の皇帝たちから崇敬されたのです(中国史上、大きな廃仏が四回あり、「三武一宗の法難」とよばれますが、後の二回は唐の武宗と唐末五代・後周の世宗によるものです)。

                (第5回 完)

タグ:親鸞を読む
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