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ひとへに専修をすすめしむ [はじめての『高僧和讃』(その121)]

(8)ひとへに専修をすすめしむ

 次の和讃です。

 「釈迦は要門ひらきつつ 定散諸機をこしらへて 正雑(しょうぞう)二行方便し ひとへに専修(せんじゅ)をすすめしむ」(第65首)。
 「釈迦は浄土の門ひらき、定散諸機をすすめては、正雑二行用意して、ついに専修に誘いこむ」。

 まずはことばの解説から。「定散諸機」といいますのは、定善をおこなうものと散善をおこなうものということです。定善とは、こころを統一して仏や浄土を思い浮かべること、散善とは、こころが散乱したまま諸善をなすこと(父母に孝養を尽くし、師長によくつかえ、不殺生などの十善をなすなど)です。定善は出家が、散善は在家がなす善と言っていいでしょう。「こしらへて」とは、誘うということ。「正雑二行」とは、正行と雑行のことで、正行には読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養の五つがあり、雑行とはそれ以外の雑多な行を指します。「専修」は、もっぱら称名念仏をするということです。
 ポイントになるのは「こしらへて」と「方便し」でしょう。釈迦は人々を浄土の門に導こうと(「こしらへて」)、定善や散善、正行や雑行といったさまざまな手立てを準備したが(「方便し」)、その狙いは専修念仏へと誘うことにあるのだということです。専修念仏とは、かたちの上では正行のなかの称名を専ら修めるということですから、諸善万行を並べ上げ、そのなかから称名念仏を選ばせようとしていると受けとることができますが、ここは注意が必要なところです。専修念仏は諸善万行の一つではないということです。数ある行のなかから念仏一つを選び、それに専念すると受けとってしまいますと、その念仏は自力の念仏になります。
 「諸善万行か念仏か」とは、「自力をとるか、それとも自力を捨てるか」ということです。

タグ:親鸞を読む
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