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論理のことばと物語のことば [正信偈と現代(その41)]

(5)論理のことばと物語のことば

 南無阿弥陀仏は言うまでもなくインドのことばで、「無量のひかりの仏に帰命したてまつる(帰命尽十方無碍光如来)」という意味です。これは釈迦が「真理のことば」を人々に伝えようとしてインドのことばに翻訳したものと言えます。無我や縁起も釈迦が聞いた「真理のことば」を人間のことばに翻訳して人々に伝えようとしたのですが、こちらは論理のことばに「意訳」されたものであるのに対して、南無阿弥陀仏は物語のことばに「直訳」されたと言うことができるでしょう。
 仏教はまぎれもなく釈迦が説いた教えであると同時に、その真理は釈迦以前のはるかむかしに語られていたということをどう考えたらいいかについて述べてきました。釈迦は「真理のことば」をはじめて語ったのではなく、それを聞いただけであり、ただそれを人々にどう伝えるかに苦労して、一方では無我や縁起という論理のことばで語り、他方では南無阿弥陀仏という物語のことばで語ったということです。「真理のことば」が無我や縁起として語られたことに依拠するのが聖道門であるのに対して、南無阿弥陀仏として語られたことに依拠するのが浄土門です。
 ただ、「真理のことば」が無我や縁起という論理のことばとして語られますと、それは釈迦が聞いたものであることが忘れられ、釈迦自身が「真理のことば」を語っているかのように思われてしまいがちです。釈迦はみずからの力で真理そのものを手に入れたと。そう勘違いした人たちは、自分もまた釈迦のようにみずからの力で真理そのものを手に入れなければならないと考えるようになります。一方、浄土門では最初から南無阿弥陀仏は向こうから聞こえてくるものであり、それが聞こえることが取りも直さず救いに他なりません。他力浄土門と言われる所以です。

タグ:親鸞を読む
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