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7月28日(水) [矛盾について]

 皆さん、こんばんは。ブログなるものをやってみようと、手探りで始めました。今日は、矛盾について書いてみたいと思います。
 矛盾ということばは、『韓非子』に出てくる話に由来していることはよく知られています。楚の商人が「この矛はどんな盾も貫くが、この盾はどんな矛も跳ね返す」と言ったところ、それを聞いて不審に思った客が、「ではその矛でその盾を突けばどうなるのか」と尋ねたというのです。こんな言い分を聞いたら、誰しも「つじつまが合わない」と思うに決まっています。
 でもそれは、誰かが「この矛はどんな盾も貫くが、この盾はどんな矛も跳ね返す」と言うものだから、つじつまが合わないのであって、もし太郎が自分の矛について「この矛はどんな盾も貫く」と言い、次郎が自分の盾について「この盾はどんな矛も跳ね返す」と言えばどうでしょう。太郎とすれば、別につじつまが合わないことを言っているのではありませんし、それは次郎についても同じです。ですから、その場合は矛盾ではなく、ただ太郎と次郎の言い分が対立しているだけと考えることができます。
 実際、どちらが間違っているか決着をつけようと思ったら、太郎の矛で次郎の盾を突いてみればいいのです。太郎の矛が次郎の盾を貫けば次郎が間違っていますし(だからと言って必ずしも太郎が正しいということにはなりませんが)、次郎の盾が太郎の矛を跳ね返せば太郎が間違っているのです(この場合も同様に、必ずしも次郎が正しいということにはなりません)。 
 しかし、いずれにしても「この矛はどんな盾も貫くが、この盾はどんな矛も跳ね返す」は間違っています。これが間違っていることは、実際にこの矛でこの盾を突いてみるまでもなく明らかです。いずれにしても間違っているということが矛盾ということです。としますと、矛盾は誰かが「この矛はどんな盾も貫くが、この盾はどんな矛も跳ね返す」と主張した時に発生し、別の人がそれぞれ「この矛はどんな盾も貫く」、「この盾はどんな矛も跳ね返す」と言っても、それは矛盾ではなく、ただ二人の意見が対立しているにすぎないということでしょうか。
 でも、ある人が矛盾したことを言うと、「それはつじつまが合わない」と厳しく非難されるのに、二人の意見が対立するのは普通だと思われるのはどこか変だと思いませんか。一人の場合は矛盾、二人の場合は対立。そして矛盾した言説は許されないが、意見の対立は世の常として認められる。何だか不思議です。

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