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矛盾について(その31) ブログトップ

8月27日(金) [矛盾について(その31)]

 ある人が「右に行く」と言い、ある人が「左に行く」と言う。何の問題もないように思います。それぞれがそれぞれに行けばいい。でもその二人が例えば夫婦だとしますと、そうも言っていられなくなります。何を置いてもこの問題について議論しなければなりません。またある人が「悲しい」と言い、ある人が「嬉しい」と言う。これも何の問題もないように思えます。それぞれがそれぞれに感じればいい。でもこの二人が親子だとしますと、それで済むでしょうか。もしそれで済むようでしたら、もう親子関係は崩れていると言わなければなりません。
 もちろん「見る」ことの価値を否定しているのではありません。学問という営みは、現実をどう見るかをめぐって展開されてきました。とりわけヨーロッパの近代は、まず天体の運行を「見る」ことからはじまり、それが物理学を代表とする自然科学を生み出し、世界中を大きく変えてきたことは改めて言うまでもありません。ただ、こうして「見る」ことを偏重する文化(それは近代ヨーロッパではじまったのではなく、古代ギリシアにまで遡るでしょう)の中で、「意思する」ことや「感じる」ことは主観的なものとしてないがしろにされてきたのではないでしょうか。
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