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矛盾について(その32) ブログトップ

8月28日(土) [矛盾について(その32)]

 ここで考えなければならないのは客観的に「見る」ことと、主観的に「意思する」ことおよび「感じる」ことの関係です。
 前にこう言いました、「ここに以前ユダヤ人の王国があった」という事実記述から「したがってここはユダヤ人が住む権利がある」という意思表明を導き出すことはできないと。「見る」ことと「意思する」ことは別です。同じ事実を見ながら、正反対の意思表明をすることはいくらでもあります。「見る」ここと「感じる」ことも同様です。同じ事実を見て、正反対の感情表出をすることはざらにあります。
 しかし、だからといって「見る」ことと「意思する」ことおよび「感じる」ことは無関係ではありません。どのように意思するかは、どのように見るかに大きく依存していますし、どのように感じるかも、どのように見るかにかかっているとも言えます。
 このように、「見る」ことと「意思する」ことおよび「感じる」ことは別だけれども、深く関係しているのです。
 ただ、どのように見るかによって、どんな意思をもつか、どんなふうに感じるかが決定されるとしてしまいますと、大事なのはどのように見るかだということになります。違った意思や感情をもつのは、ものごとを「正しく」見ていないからだと。この立場は伝統的に非常に強い力をもってきました。
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