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矛盾について(その34) ブログトップ

8月30日(月) [矛盾について(その34)]

 「見る」ことは客観的で、「意思する」ことや「感じる」ことは主観的ですが、両者は相互に深く関係しあっているのです。そして「意思する」ことと「感じる」ことも、それぞれ別でありながら、相互に影響し合っているのは言うまでもありません。
 前に「意思する」こと同士が対立したときは、それぞれの意思をぶつけ合って、どこで妥協できるかを探るしかないと述べましたが、「感じる」ことが対立したときも、それぞれの感情をぶつけ合うしかないのでしょうか。
 しかし、「感じる」ことは「意思する」ことよりもさらに人それぞれですから、それについて話し合ったって仕方がないではないかと思えます。ある人は感じ、ある人は感じない、そんなことを議論してどうなるのだと。感じないと言う人に、「どうして感じないのか」と訊いても、「感じないものは仕方がない」と言われておしまいの気がします。
 ひとつの事実を前にして、ぼくは「悲しい」と言い、きみは「ちっとも悲しくない」と言うとしましょう。「ぼくはぼく、きみはきみ」でよさそうにも思いますが、ぼくとしては、「ぼくはこんなに悲しいのに、きみはどうして悲しくないのか」と問いたくなります。しかし問われた方としては、悲しくないのはどうしようもありません。「感じる」ことは「意思する」ことと違い、自分ではどうすることもできないからです。ここから何ともならない「すれ違い」が生まれてきます。
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