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矛盾について(その35) ブログトップ

8月31日(火) [矛盾について(その35)]

 ぼくはこんなに悲しいのに、きみはちっとも悲しくないとき、「どうしてきみは悲しくないのか」と問いたくなり、またそう問うことが必ずしも理不尽ではないのは、「感じる」ことはただそれだけで終わらず、「意思する」ことに結びついてくるからです。
 「イルカを殺すのは残酷だ」と感じるから、「イルカ漁は禁止しなければならない」と思うのです。もちろん前者から後者が自動的に導かれるわけではありません。「イルカを殺すのは残酷だ」から、「しかし牛や豚を殺すのも同じように残酷だから、牛や豚を殺すことを認めるなら、イルカを殺すのも認めなければ首尾一貫しない」と言うこともできます。
 やはり「感じる」ことと「意思する」ことは全く別です。
 そもそも何かを「意思する」ということは、何もないところに新しく意思を生み出すことです。それが何かを「見る」こととの根本的な違いでした。何かを見るときは、見るのに先立って何かがありますが、何かを意思するとき(何かをしようとするとき)は、意思するのに先立って何かがあるわけではありません。全く新たに意思を創造するのです。これが自由ということです。もし「感じる」ことが「意思する」ことの前提条件でしたら、全く新たに意思を創造するのではなくなります。自由ではないということになります。
 しかし同時に、「感じる」ことと「意思する」ことは深く結びついています。
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