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矛盾について(その47) ブログトップ

9月13日(月) [矛盾について(その47)]

 「どうして自分が」ということこそ苦しみの正体だと言いました。
 「どうして自分が」という苦しみがなければ、痛みやしんどさといった直接的な苦しみは何ほどのものでもないと思います。こんなふうに言いますと、誰かが「お前はこの痛さやしんどさを知らないから、そんなのんきなことを言っていられるんだ、この苦しみをちょっとでも味わってみろ、どんなに大変なものかすぐ分かるから」と反論するに違いありません。この人の怒りは、痛さやしんどさを味わっていないぼくが「そんな苦しみは何ほどのものでもない」などと言うことに向かっています。彼はやはり苦しんでいる自分と苦しんでいないぼくとを見比べているのです。「どうしてこのオレが」と苦しんでいるのです。
 「どうして自分が」という苦しみは、自分と他の人との比較から生じてきます、「あいつはあんなに元気なのに、どうしてオレはこんなに苦しまなければならないのか」と。もしみんなが自分と同じ苦しみを味わっているとしましょう。そんなことは現実にはありえないことですが、仮にそんなことがあるとしますと、苦しいことが普通なのですから、もう今までほどは苦しくなくなるのではないでしょうか。そりゃ痛いのは痛いし、しんどいのはしんどいですが、それが普通の状態なのだとしますと、それほど苦にならなくなる。
 苦しみというのはやはり周りとの比較から生まれるようです。
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