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11月13日(土) [矛盾について(その108)]

 ここでは阿弥陀仏、本願、往生といった浄土思想独特の用語が使われていますので、慣れないうちは戸惑うと思いますが、いまはそれらのことばに拘ることなく、「機の深信」とは「こんな自分が救われるはずがない」と感じること、「法の深信」とは「こんな自分が救われる」と感じること、これで十分です。「こんな自分」とは、「オレが、オレが」と我にとらわれている自分のことです。煩悩にどっぷり浸かった自分のことです。
 善導は、信じるといっても「機の深信」と「法の深信」の二つがありますよとさりげなく言っているだけですが、このように贅肉を全部そぎ落として並べてみますと、如何に破天荒なことが言われているかが分かります。「こんな自分は救われない」と「こんな自分が救われる」。
 ひとつには「機の深信」、ふたつには「法の深信」と言っていますが、この言い方からして、これは“or”ではなく“and”であることは疑いありません。どちらか一方でよしではなく、どちらも揃ってよしです。さて問題は両者に順序があるのかどうかです。まず「機の深信」、しかる後に「法の深信」ということか、それともそんな順序はなく、「機の深信」のあるところには「法の深信」があり、「法の深信」のあるところには「機の深信」があるということか。
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