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矛盾について(その124) ブログトップ

11月30日(火) [矛盾について(その124)]

 これまで何度も確認してきましたように、「見る」ことはこちらから「(視線を)与える」ことですが、「感じる」ことは向こうから「与えられる」ことです。こちらから何かを「与える」ときは、自分は与えても、自分以外のみんなが与えるかどうかは分かりません。しかし向こうから「与えられる」ときは、自分が与えられたとしますと、他のみんなも与えられたということです。
 もし自分だけ、あるいは自分を含む一部の人だけが与えられたとしますと、他のみんなとの間に何らかの違いがあって、自分、あるいは自分を含む一部の人が選ばれたということになります。これではほんとうの意味で「与えられた」ことにはなりません。一定の条件を備えたものだけが「与えられる」ということは、「与えられる」というよりも、一定の条件と「交換される」ということです。
 一定のレベル以上の舌をもっている人だけに「うまい」と感じられるとしますと、それは向こうから否応なく「うまさ」が与えられるのではなく、逆にこちらから「うまさ」のお墨付きを与えているということです。何か「うまさ」を測るメーターがあって、それで「これはうまい」、「これはまずい」と判定しているようなもので、「うまさ」を感じているのではなく、どこかにある「うまさ」を見ているのです。しかし「うまさ」は感じるもので見るものではありません。そして「うまい」と感じたときは、一部の人にだけ「うまい」のではなく、みんなに「うまい」と感じるのです。
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