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矛盾について(その165) ブログトップ

1月10日(月) [矛盾について(その165)]

 どこかに「いる」のは「する」ことのひとつですが、この世に「いる」のはそうした「いる」も含めたすべての「する」を可能とする条件でした。
 突然ですが、将棋を考えてみましょう。「7六歩」とは、ある歩が盤上の7六の位置にあるということを意味します。こんなふうに敵味方合わせて40の駒が81あるます目のどこかにあるわけです。さてある歩が7六の位置にあるためには、盤上になければなりません。「盤上にある」ことが「7六の位置にある」ことを可能にしているのです。
 7六の位置にいるのが嫌になったら、7五の位置に移動できるでしょう。しかしもう盤上にいるのが嫌になったからといって、そこにいるのをやめることはできません。駒が盤上からいなくなるのは敵の駒に取られたときだけで、自らの意思で消えることはできないのです。どうしてかと言いますと「盤上にいる」ことがすべてを可能にしている条件だからです。7六の位置にいることも、7五の位置に移動することも、その他どのようなことも盤上にいることが前提条件となっているのです。
 同じように「この世にいる」ことがあらゆることを可能にしている前提条件です。この前提条件があれば、自然法則と社会法則(法律や倫理のことです)に則っている限りどんなこともできますが、「この世にいる」という前提条件を否定することだけはできません。
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