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矛盾について(その191) ブログトップ

2月5日(土) [矛盾について(その191)]

 「自由と必然」の難問に解決の道筋をつけてくれたのがカントです。カントはこんなふうに言います。
 ぼくらがあることについて「これは何だろう」と探究するとき、ぼくらの側にいくつかの道具が用意されています。細胞を捉えようと思ったら顕微鏡を用意しなければならないように、ぼくらが「これは何か」を知ろうとしたら、それを見るための道具がぼくらに備わっているのです。例えば空間と時間。空間や時間はぼくらが見ようとしている世界の側に属していると思いますが、カントに言わせると、それらはぼくらが世界を見るときに必要なぼくらの道具で、ぼくらの側に属しているのです。
 同じように因果律(「どんなことにも必ず原因がある」)も、世界の側に属しているのではなく、ぼくらが世界を捉えようとするときに是非とも必要な道具だとカントは言います。世界の出来事を観察した結果として「ものごとには必ず原因がある」ことを知ったのではなく、ぼくら自身が「なにごとにも原因がある」という特殊な眼鏡をかけて世界を見ているのだと言うのです。
 としますとぼくらの眼に捉えられる世界に自由は入り込む余地がありません。何から何まで原因と結果の鎖にがんじがらめです。ただ、これは世界を「見る」上での話です。
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