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2月16日(水) [矛盾について(その202)]

 自分を待っている人がいると思えるからこそ、どんな地獄も耐えることができるということでした。
 しかし「ぼくを待ってくれている人がいるとは思えない」と言う人がいるかもしれません。「ぼくには“帰ってきて”という声なんて聞こえない」と。たとえ子どもや妻がまだ生きているとしても、彼らは自分を待ってなどいない。むしろ自分がいなくてせいせいしていると言う人、その人は自分を待ってくれているはずの人がもうこの世にいない場合よりも救いがないかもしれません。
 でも一歩退いてよく見ますと、その人は「ぼくを待つ人などいない」ということばを発しているのです。それは誰に向かって言っているのでしょう。例えば「きみにもきみを待つ人がいるはずだ」と問いかけているフランクルに言っているのです。いや、誰かに向かって言っているのではないのかもしれません。ただそう呟いているだけ。しかし、ただ呟いているだけにしても、誰かがいるからこそ呟くのです。ほんとうに誰もいなかったら呟きもせず、ひたすら絶望するのみ。
 『池袋・母子 餓死日記 覚え書き』という本のことを知りました。1996年の4月27日に池袋のアパートで77歳の母と41歳の息子が餓死しているのが見つかったそうです。当然ニュースになったはずですが、残念ながら印象に残っていません。餓死した母親が日々つけていた日記が残されており、餓死に至るまでの様子がそこから読み取れるのですが、この本はその日記の全文を公刊したものです。
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