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矛盾について(その247) ブログトップ

4月6日(水) [矛盾について(その247)]

 ことばが違うもの同士が意思疎通するためには「翻訳」という作業がなくてはなりません。そのとき、それぞれの言語で表されることばが同じものを指しているときは何の問題もありませんが、一方が指しているものが、他方の言語圏にはないという場合が困ります。例えばオオカミ。オオカミということばを持たない言語があるのです。オオカミがいないのではありません。そこではオオカミは犬なのです。ぼくらにとってオオカミと犬は別の動物ですが、その言語圏では両者は区別されません。さてこんな場合オオカミをどう翻訳すればいいでしょう。かなりのことばを費やさなければならず、さぞかし大変だろうと推察できます。しかし翻訳できないわけではありません。形あるものだからです。何ともならないときは実物を見せて、これがオオカミだとやればいい。
 問題は形のないものの場合で、これを翻訳するのは至難の業でしょう。
 ふたつの「物語」の間で対話が成り立つためにも、自分のことばを相手のことばに翻訳し、相手のことばを自分のことばに翻訳しなければなりません。さて宗教(仏教)にはなくてはならない「仏」ということばは科学のことばにはありません。ですからこれを翻訳するとなるととんでもなく厄介な作業になることが予想されます。いや、そんなことできる訳がない、と言われるかもしれません。そもそも宗教の「物語」と科学の「物語」というように分かれているのは、それぞれが立っている土俵が異なるからなのに、もし宗教のことばが科学のことばに翻訳されてしまうなら、土俵はひとつで、「物語」もひとつになるではないかと。

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