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4月17日(日) [矛盾について(その258)]

 このように見てきますと、「つながり」とはつくり出し維持していくものだということが分かります。前もってどこかにあるのではなく、自分で開拓していくもの。
 なぜ「つながり」を開拓していかなければならないかと言いますと、「ひとりでは生きていけない」からです。引きこもりの青年たちは好きこのんで引きこもっているのではありません。何とかして社会とつながりたいのですが、怖くてその一歩が踏み出せない。だから苦しくて仕方がないのです。「働かなくても食べていけるんだから、いい気なもんだ、オレも引きこもりたいよ」と揶揄する声がときどき聞こえてきますが、引きこもっている人は働きたくないのではありません。働きたくて仕方がないのです。働くとは「お金を稼ぐ」ことであるより前に「つながり」をつくり出すことだからです。
 さてしかし、今考えている「つながり」は「つくる」ものではなく「感じる」ものです。つくろうとして「つくるつながり」ではなく、あるときふと「感じるつながり」です。それは別ものではないだろう。あるときは「つくる」つながりであっても、あるときはそのつながりを「感じる」のだから、と言われるかもしれません。いや、それは全く別ものだということを改めて確認しておきたいと思います。基本は前に検討しました「意思する」と「感じる」の違いです。
     「意思する」             「感じる」
  ・「こちらから」(能動性)       ・「向こうから」(受動性)
  ・「これから」(未来性)        ・「もうすでに」(過去性)
 「つくるつながり」は「こちらから」で「これから」、「感じるつながり」は「向こうから」で「もうすでに」であることを確かめましょう。

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