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5月30日(月) [矛盾について(その300)]

 芹沢氏は「ある自己」を支えてくれる「一緒のだれか」がいなくなったら、誰も自分を受けとめてくれないのですから、自分で自分を受けとめるしかないと言います(ここに含まれている問題点については後で触れます)。支援の問題を考えるとき、これがスタートラインになります。引きこもりの状態にある人をどう支援できるか。ひと言でいいますと、引きこもりは傷ついた「ある自己」の自己治癒(自己受け止め)の時間だと肯定し、見守ってあげること、これです。
 彼はそもそも「支援」ということばに疑いの眼を向けます。2006年に名古屋で「アイ・メンタルスクール」という引きこもり更生支援施設で、26歳の男性寮生が暴行を受け死亡するという事件が起きました。この事件は引きこもりに対して世間がどのような眼差しを向けているのかを明るみに出してくれました。世間では、暴行とその結果としての死亡は問題だが、親が持て余している引きこもりの青年を引き受け、その「更生」に向けて「支援」してくれる施設は必要だ、というのが大方の見方ではないでしょうか。引きこもりは「あってはならない」ことだから、それから更生させることは是非とも必要だし、そのための支援は大事なことだと。
 この否定の眼差しに対して、芹沢氏は「何はともあれ引きこもっているという状態像の肯定から始めよう」と言います。引きこもりは傷ついた自己を癒すための貴重な時間だということを認めようと言うのです。周りの人間、とりわけ家族としてできることは、何をおいても引きこもりを肯定することだと。そしてじっと待つ。

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