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矛盾について(その310) ブログトップ

6月9日(木) [矛盾について(その310)]

 「与える」ことは相互的で、ただ一方的に「与える」だけということはありません。だからこそ、誰かに何かを「与える」ときには、必ず何らかのかたちでお返しがあることを期待し、逆に、誰かから何かが「与えられる」ときには、いつかお返しをしなければと負い目を感じるのです。
 キャッチボールは相互的で、投げられたボールは、それを受け取った者が返さなければなりません。ボールを投げる、受けたボールを投げ返す、これを繰り返すことではじめてキャッチボールになります。
 それにしても「与える」ことはどうして相互的なのでしょう、どうして一方的であってはいけないのでしょう。
 それをひと言でいいますと、「与える」のは「わたし」だからです。匿名であったとしても、紛れもなくこの「わたし」が与えるのです。そして「わたし」が何かを与えるときには、そこに必ず何らかの目的があります。そのことによって何かを得ようとしているのです。
 「わたし」が何かを「する」とき、それは何かのためであり、そこに目的・手段の関係を見て取ることができます。そしてその目的・手段の連鎖をたどっていきますと、最終的には「生きんかな」に行き着きます。
 「わたし」が何かを「する」のは「生きんかな」と思うからです。そして「与える」ことも「する」ことですから、そこでも「生きんかな」の思いが働いていることに変わりはありません。「わたし」は「生きんかな」として誰かに何かを「与える」のです。
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