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6月10日(金) [矛盾について(その311)]

 「与える」ことは必ず「与えられる」ことと対になります。一方的に与えることはなく、相互に与えあうしかないのです。タイガーマスクさんが恵まれない子どもたちにランドセルを贈ってあげたのも、子どもたちの喜ぶ顔を見たかったからです、子どもたちの喜びを自分の喜びとしたかったからに違いありません。
 「与える」ことが相互的であって一方的でありえないのは、「わたし」が与えるからだと言いました。デリダが「贈与が贈与と意識された瞬間に交換となる」と言うのも同じことです。贈与を贈与と意識するということは、「わたしが与える」と意識するということですから。「わたし」が与えるということは、不特定の誰かではなく、この「わたし」が与えるということです。
 これが通常の「与える」ですが、問題はもうひとつ別の「与える」です。それは「あなた」が「与える」場合です。
 ここで「あなた」というのは、特定の誰かではありません。特定の誰かでしたら、これまでと何も変わりありません。そこには相互性があり、与えた側はお返しを期待し、与えられた側には負い目が生まれます。しかしここで言う「あなた」は誰と特定できません。あるとき思いがけず「あなた」から「そのまま生きていていい」というメッセージが贈られるのです。通りすがりに「こんにちは」と言ってくださった見ず知らずの方からこのメッセージが発せられたかと思って、「いまぼくに“そのまま生きていていい”と言ってくれましたか」と尋ねても、怪訝な顔をされるに決まっています、「いえ、わたしはただ“こんにちは”と声をかけただけです」と。

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