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矛盾について(その315) ブログトップ

6月14日(火) [矛盾について(その315)]

 「いる」ことは与えられるだけで、与えることはできないのはなぜ?改めて「いる」ことが与えられるとはどういうことかを確認しておきましょう。
 「いる」こと自体はもう与えられています。でなければ、ぼくらは何も「する」ことができませんから。「いる」ことの気づき(「生きていていい」という気づき)が与えられるのです。これは与えられるしかありません。自分で手に入れようとどんなに頑張っても無理です。考えてもみてください、「いる」ことの気づきを手に入れようとすることは、もうすでに「いる」ことに気づいているということです。それに気づいていなければ、手に入れようと思うこともありません、ただ気づいていない、それだけです。
 「いる」こと(の気づき)は、自分で手に入れることはできず、与えられるしかないと言いましたが、求めて与えられるものでもありません。手に入れるのと同じく、求めるためには、すでに「いる」ことに気づいていなければならないからです。マタイ伝に「求めよ、さらば与えられん」とありましたが、これは「する」ことについて言えることで、「いる」ことには当てはまらないということです。「する」ことは、どんなことであれ「してほしい」と思わなければ、してもらえません。「してほしい」と思っても、してもらえないことはありますが、少なくとも「してほしい」と思わなければ、してもらえることはありません。「求める」ことは「与えられる」ことの十分条件ではなくても必要条件です。
 ところが「いる」こと(の気づき)は求めないのに与えられるのです。

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