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矛盾について(その337) ブログトップ

7月6日(水) [矛盾について(その337)]

 もし教えが広まるのが「わがはからひ(自分の力)」によるのでしたら、妨害されたからその地を去るというのは己の力のなさを認めるようなもので釈然としないでしょう。その地に踏みとどまり、妨害をはねのけて布教を続けるのが信仰者の取るべき道と言えます。要するに戦うのです。ここから殉教という精神が生まれます。どれだけ殉教精神があるかによって、その人の信仰の度合いが測られることにもなります。これは分かりやすいし、何と言っても格好がいい。
 しかしこれは親鸞に言わせれば、「わがはからひ」によって人を信じさせようとするものであり、ひいては自ら信じることも「わがはからひ」にさせることです。これでは「如来よりたまはりたる信心を、わがものがほにとりかへさんとまうすにや(自分のものであるかのように取り返そうとでもするのでしょうか)」(『歎異抄』第6条)ということになってしまわないでしょうか。
 宗教と社会との対立、あるいは宗教と宗教の対立の問題は、非常に大事な論点を含んでいますので、もう少し考え続けたいと思います。
 少し前になりますが、フランスでムスリムの女性が公立学校においてヴェールをかぶるのが禁止されました。私的にヴェールをかぶるのは問題ないが、公的な場に持ち込むのはイスラム教という特定の宗教の示威行為になるということです。宗教を私的な領域に閉じ込めるのが近代の大原則(政教分離の原則)で、公立学校で特定の宗教活動をすることは禁止されています。しかし厳格なムスリム女性にとってヴェールをかぶるのは信仰の一部ですから、公立学校の中だけとはいえ、ヴェール着用を禁止するのは信仰の自由に反するのではないかとも思えます。

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