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矛盾について(その340) ブログトップ

7月9日(土) [矛盾について(その340)]

 「事実の記述」を巡る対立に続いて「意思の表明」を巡る対立ですが、政治的立場の対立はこれに当ります。もう一度パレスティナ問題を取り上げますと、「パレスティナはユダヤ人の土地だ」という立場と「パレスティナはアラブ人の土地だ」という立場が真っ向からぶつかっています。
 この対立は不幸にして何度も戦争という悲劇を生み、いまもテロとそれに対する報復攻撃という連鎖を引き起こしています。学説の対立と比べその深刻さがうかがえますが、「銃を取れ!」という事態を避けるためには、ここでも話し合いしかありません。学説の対立は、学会の場や学術誌上の論争によって、どちらかに黒白がつけられることになりますが、政治的立場の対立も、直接対話や国連などでのやり取りで打開が図られます。
 ただその際「知る」ことと「意思する」ことの違いを明確にしておくことが非常に重要です。「知る」ことには妥協はありませんが、「意思する」ことが対立したら妥協するしかないということです。どこで妥協点を見つけられるか、ここに話し合いの成否がかかっています。
 最後が「感情の表出」を巡る対立ですが、これまで述べてきたことからして、信仰の対立はこれに当たりそうだと見当がつきます。「信じる」ことは「感じる」ことだからです。十字架上のイエスを信じるとは、そこに罪の赦しを感じることに他なりません。弥陀の本願を信じるとは、そこに「おかえり」の声を感じることに他なりません。どれも「感じる」ことです。としますと、信仰の対立は「感じる」ことを巡る対立であるということです。

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