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矛盾について(その346) ブログトップ

7月15日(金) [矛盾について(その346)]

 前に、フランスでムスリムの女性が公立学校でヴェールをかぶるのを禁止されたことを上げましたが、繰り返し述べてきましたように、これは信仰と信仰の対立ではありません。ある信仰を持つ人と他の信仰を持つ人との対立です。あるいは、ある信仰集団と他の信仰集団との対立。
 信仰は「感じる」ことですからそこに対立や争いはありませんが、それはおのずと外に形あるものとして現れ、さらには周りに広めようとする力となります。「感じる」ことが「意思する」ことにつながってくるのです。それが威圧感や脅威と感じられるとき、対立や争いが生まれることになります。
 としますと、それぞれがそれぞれの信仰を持ちながら、そのことが他の人に圧迫感を感じさせないような組織のあり方をデザインしていくしかありません。宗教集団はもっとも閉じられた組織、一番圧迫感を感じさせる組織でしょうが、そこにその宗教以外の人たちが自由に出入りすることができるような雰囲気があるかどうか。
 ぼくは浄土真宗の門徒ではありませんが、ときどき真宗のお寺にお邪魔することがあります。そこでさまざまな講演会などが開かれたりすることがあるからですが、行事の前に宗教的儀式が行なわれるのが普通です。まあ念仏を唱和するぐらいのことですが、それでも外部の人間は戸惑いを感じます。そんなとき圧迫感があるかどうか、その場にいたたまれないような雰囲気か、それともゆったりと儀式の時間が過ぎるのを待つことができるか、これが非常に重要です。
 この違いは微妙で、どこがどうだからとことばにするのは難しいのですが、会場(お寺)にそういう配慮(圧迫感を与えない、あるいは、居心地の悪さをできるだけ取り除くなど)があるかどうかにかかっています。それぞれがそれぞれの思想・宗教を持っていることを尊重する姿勢です。これはしかし言うは易く、行なうは至難と言わなければなりません。

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