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矛盾について(その348) ブログトップ

7月17日(日) [矛盾について(その348)]

 ある思想や宗教がどんなに人を威圧するかについて、中西輝政氏の『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(2006年)という本を例に考えておこうと思います。
 著者は右の代表的論客の一人ですが、民主主義の価値は十分認めた上で、それぞれの国柄(彼としては国体と言いたいところでしょう、天皇制のことです)にあった民主主義があると言うのです。日本には日本の国柄にあった民主主義があるのだから、何も外国の真似をする必要はないということです。中国政府が、中国には民主主義(人権思想)がないと非難されるとき、中国には中国の民主主義があるのだと主張するのを思い起こします。そう、アメリカにはアメリカの、中国には中国の、そして日本には日本の民主主義がある。
 彼の言う天皇制は「文化としての天皇制」で、決して天皇に政治権力を与えよというのではありません。天皇制はもとから文化、あるいは独自の宗教として機能してきたのであって、明治憲法下でも、実際の政治的決定は議会や内閣、あるいは軍部が行なってきたのだと言います(だから天皇に戦争についての道義的責任はあっても、政治的責任はないということになります)。これは三島由紀夫をはじめとする右の正統派の主張と言っていいでしょう。ここでその事実認識に関して争おうとは思いません。ぼくが問題にしたいのは、民主主義と天皇制の関係です。彼はそこに何の矛盾もないと言うのですが、ほんとうにそうかを考えてみたいのです。
 キーになるのが「国柄」ということばです。日本の国柄は天皇制である、とされるときの危うさ、怖さを考えてみたい。民主主義も西洋で生まれたひとつの特殊な文化と言えなくはありませんが、いまや普遍的な価値を認められています。何しろ北朝鮮も国名に民主主義を取りいれているのです。それに対して天皇制は日本に独自の文化でしょう。日本独自だからこそ価値がある、著者は本の中で一生懸命そのことを説いています。としますと普遍的な民主主義と特殊な天皇制とはどういう関係になるのでしょう。

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