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矛盾について(その357) ブログトップ

7月26日(火) [矛盾について(その357)]

 ひとさまに何かを差し上げることができるということは、それを自分で作るか、あるいは他の人から買うかして、自分で調達することができるということです。自分の手で用意するか、お金を出して用意するかは本質的な違いではありません、いずれにしても自分の力で調達するということです。
 さて、「であること」の喜びが自分で調達できることは言うまでもありません。ですから、ぼくに十分な力があれば、困っている人に「であること」の喜びを差し上げることができるでしょう。しかし「があること」の喜びは逆立ちしても自分で調達することができません。したがって、それをひとさまに差し上げることはできません。
 ちょっと中断。「であること」と「があること」の区別が分かりづらいというクレームがつきましたので、ひと言つけ加えます。英語のbe動詞に「である」と「がある」の二つの意味があることはよく知られていますが、「である」は主語がどんな状態であるかを表し、「がある」は主語が存在することを表します。そこから「であること」とは、例えば被災者が家を失った状態を指し、「があること」とは、被災者が生存していることを指します。
 戻ります、「このまま生きていていいのか」という棘が痛むとき、その棘を自分で抜くことができるでしょうか。あるいは誰かに頼んで抜いてもらうことができるでしょうか。
 「このまま生きていていいのか」の棘を自分で抜くということは、自分に向かって「そのまま生きていていい」と言うことに他なりません。これが何の役にも立たないことは明らかでしょう。これはやはり誰か他の人に言ってもらわなければ意味がありません。そこで友人に頼んで「そのまま生きていていい」と言ってもらったら…。同じでしょう。頼んで言ってもらうのは自分で言うのと何も変わりません。としますと、「があること」の喜びは自分では調達できないということです。

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