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8月2日(火) [矛盾について(その364)]

 たとえ目の前の現実がどんなに絶望的であっても、「そのままですでに救われている」というメッセージが届いていれば、これからも希望を持ち続けることができます。
 ここにはしかし根本的に矛盾した事態があります。現実はそのままでは救われていません。アウシュビッツ収容所の現実は地獄そのものですし、キング牧師を暗殺してしまうアメリカの現実は救いがたい。それでも「そのままで救われている」。これは何ともならない矛盾と言わなければなりません。
 その証拠に、もし「今年も家に帰れなかった」と嘆くアウシュビッツの囚人に「あなたはそのままで救われているのですよ」と言ったとしたら、唾を吐きかけられるに違いありません。また、大津波ですべてを失い茫然自失している人に「そのままで救われています」と言えば、「いつでも代わってあげますよ」と皮肉を言われることでしょう。
 前に善導大師の「二種深信」について考えました。「こんな自分が救われるはずがない」という「機の深信」と、「こんな自分がそのままで救われる」という「法の深信」。ここにはどうしようもない矛盾があります。しかし「救われるはずのない自分が救われる」というこの矛盾の中に深い喜びが湛えられているのでした。
 同じように、「こんな世界が救われているはずがない」と「こんな世界がそのままで救われている」も何ともならない矛盾です。しかし「救われているはずがないこの世界がそのままで救われている」という矛盾の中にこそ、どんな状況においても希望を失わずに生きていく力が隠されているのです。
 「救われていない」のに「救われている」という矛盾。

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