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矛盾について(その366) ブログトップ

8月4日(木) [矛盾について(その366)]

 「Aかつ(Aではない)」という主張を矛盾と言うのですから、「いまだ救われていないが、もうすでに救われている」は紛れもなく矛盾しています。例えば「この矛はどんな盾も貫くが、この盾はどんな矛も跳ね返す」と言われたら、その主張は矛盾しているから文句なく偽であると判定します。ところが「いまだ救われていないが、もうすでに救われている」と言われたとき、確かに矛盾した言い方だけれども、そこに何か味わい深い真実があると思う。これは一体何か。
 矛盾にもいろいろあるのです。
 ぼくらがことばで言い表す「言明」を子細に検討しますと、それにはいくつかの種類があることが分かってきます。ぼくらの精神活動が知・情・意に区別されることに応じて、知に関わる言明・情に関わる言明・意に関わる言明に分けることができることに気づくのです。つまり「知っている事実を報告する言明」(これを報告文と名づけます)、「感じることを表出する言明」(同様に表出文と名づけます)、そして「意思する(しようと思う)ことを表明する言明」(同様に表明文)です。
 言明にこの3種類あるのに応じて、それぞれの矛盾があることになります。「Aかつ(Aではない)」の「A」に報告文が入る場合と表出文が入る場合と表明文が入る場合があるということです。それぞれの具体例を出しますと、「ぼくは日本人だが、日本人ではない」、「ぼくは悲しいが、悲しくない」、「ぼくは賛成だが、賛成ではない」。この中で文句なく偽と判定されるのは報告文の場合です(ただしこの場合も「日本人」の定義をはっきりさせておかないと矛盾にならないこともあります)。

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