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矛盾について(その367) ブログトップ

8月5日(金) [矛盾について(その367)]

 表出文と表明文については、報告文の場合と同じ意味で正しいとも誤りとも言えません。つまり表出文と表明文には真偽がありません。ですから、「ぼくは悲しいが、悲しくない」も「ぼくは賛成だが、賛成ではない」も、なるほど矛盾した言い回しですから「どっちなんだ」と言いたくなりますが、だからといってそれを虚偽と言うことはできません。「悲しいが悲しくない」という矛盾した感情が表出されており、「賛成だが賛成ではない」という矛盾した意思が表明されていると言うほかありません。
 そして矛盾した感情の表出や矛盾した意思の表明は、ただ虚偽と言えないだけでなく、そこに味わい深い真実が含まれているのです。
 矛盾した報告文には一文の値打ちもありません。ですから報告文に矛盾があれば即座にレッドカードですが、表出文や表明文に矛盾があるのはおかしいわけではなく、むしろ矛盾の中にこそしみじみとした真実がある-これはどういうことでしょう。感情や意思はもともと矛盾したものだとしか考えられません。要するに、感情や意思は元来すっきり割り切れるものではないということです。矛盾律というのは、AかAではないか、はっきりさせろという命令ですが、感情や意思はもともとAかAではないかをはっきりさせることができないのです。
 しかし、先ほど言いましたように、「ぼくは悲しいが、悲しくない」と言ったり、「ぼくは賛成だが、賛成ではない」と言ったりしたら、周りから「どっちなんだ、はっきりしろ」と言われるに決まっています。とりわけ意思の表明において、どっちつかずの態度は一番嫌われます。しかしぼくらの感情や意思はそれほどすっきり割り切れるものでしょうか。割り切っていいものでしょうか。具体的な事例で考えてみたいと思います。

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