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矛盾について(その379) ブログトップ

8月17日(水) [矛盾について(その379)]

 3.11の後、東北の詩人、宮沢賢治が多くの人のこころをつかんだようです。「雨ニモマケズ」はもちろんですが、例えば次のことばも人々のこころに火を灯してくれました、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)。ここに彼の思想の原点があると言っていいと思いますが、これは大乗仏教の原点でもあります。例えば『無量寿経』は法蔵菩薩の誓いを伝えてくれます、「一切の衆生が浄土に往生しないうちはわたしは仏にならない」。これは世界が救われないうちは自分も救われないということです。
 しかしどうしてでしょうか。世界ぜんたいが幸せでなくても、自分は幸せということがあってもよさそうに思えます。
 身近なところで考えてみましょう。ぼく自身は仕事もうまくいって平穏な日々を送っているとしても、妻が何か悩み事を抱えて辛がっているとしたら、ぼくは幸せであることができるしょうか。もし妻の心配事がぼくの幸せに何の影響ももたらさないとしたら、ぼくらの夫婦関係は崩壊の危機にあると言わなければならないでしょう。しかしこんな反論があるかもしれません、まあ妻とか子とかの場合はそうだけど、ほとんど付き合いのない近所の人が何かで苦しんでいても、それにぼくの幸せが影響されるとは思えないし、まして地球の裏側でどんなことが起こっていようと、ぼくはぼくの幸せを謳歌できる、と。
 なるほど、自分との関係が薄くなればなるほど、影響を受ける度合いが少なくなるのは確かです。でも、自分と関係のある誰かとの、その関係の中にしか幸せはないのは確かではないでしょうか。自分の幸せとは言うものの、自分の中に幸せがあるのではなく、誰かとの関係の中にこそ幸せはあるのではないでしょうか。縁という仏教語を持ち出しますと、幸せは個々人の中にあるのではなく、人と人との縁の中にあるということです。
 縁とは「つながり」です。

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