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矛盾について(その380) ブログトップ

8月18日(木) [矛盾について(その380)]

 幸せは個々人の中にあるのではなく、人と人との縁(つながり)の中にあるということでした。
 「有り難い」に戻りますと、親切をしていただいたわたしが「有り難い」だけでなく、親切をしてくださったあなたも「有り難い」ということは、わたしとあなたの縁が「有り難い」のです。同じように、ぼくが幸せであるだけでなく、妻も幸せであって、はじめてほんとうに幸せであるということは、ぼくと妻の縁が幸せだということです。
 賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」ということばは胸に沁みます。その真実を露ほども疑いません。でも同時に、世のすべての人が幸せになるなんてことは不可能だとも思います。なぜなら、ぼくらは自分の幸せのために、ひとの幸せを犠牲にしていることを知っているからです。ひとの幸せの犠牲の上にある自分の幸せはほんとうの幸せではないと思うにもかかわらず、ぼくらは現にそういうにせの幸せを求めているのです。ここには不思議なねじれ構造があります。
 一方で、これはまがいものだと感じながら、他方では、それを必死に追い求める。必死になっている以上、それは自分にとってほんものであるはずなのに、その一方で、これはまがいものだと思っているのです。逆に言いますと、まがいものだと思うなら真剣にならなければいいのに、眼の色を変えて追い求めるのです。
 唐突な印象を与えるかもしれませんが、1960年代の若者たちはそのねじれを正そうとしたのではないでしょうか。いわゆる大学紛争です。

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