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矛盾について(その387) ブログトップ

8月25日(木) [矛盾について(その387)]

 マイケル・サンデルが火付け役となって「正義論」ブームが起こりました。しかし、彼の『これからの「正義」の話をしよう』を読んでも、何が正義であるかが判定できるような便利なものさしなんてどこにもないと思えます。具体的な問題が起こるつど、何が正しいかについてみんなの知恵を出し合うしか手はないということです。ソクラテスの「無知の知」は、何が正しいかは誰も知らないというところからスタートしようと言っているのです。予め答えが与えられているわけではないから、みんなで一から作り出していくしかないと。
 自分が正しく相手が間違っていると思うから、それを否定されると怒りが湧いてきます。お互いにそう思うところから喧嘩となり、戦争が起こるのです。喧嘩や戦争は、それが実際に起こる前から、もうこころの中で起こっているということです。したがって金子氏の言うように「平和のためには平和のこころをもたねばならない」。平和のこころとは「ともにこれ凡夫のみ」(十七条憲法第10条「われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。ともにこれ凡夫のみ」)のこころだと金子氏は言います。凡夫とは「ただのひと」で、仏に対置されることばですが、そこには「何が正しいかを知らない」という意味合いが含まれています。
 それは『歎異抄』の次のことばに表されているものでしょう。「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごと、たわごと、まことあることなき」。こんなふうに思うのが平和のこころです。念のために言っておきますが、誰も何が正しいかを知らないからといって、もう考えるのはやめて好き勝手に生きようと言うのではありません。「みなもてそらごと、たわごと」だから、一緒に何が正しいかを考えていこうと言うのです。

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