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矛盾について(その396) ブログトップ

9月3日(土) [矛盾について(その396)]

 考えてみますと、煩悩というのは「煩い悩む」と書くわけです。何かを煩い悩むわけです。例えば、煩悩というと怒り。思わずカッとくる、これが煩悩ですが、思わずカッとくること自体は、煩悩ではないとも言えます。いや、それが煩悩なんだけれども、カッときている人にとっては、そんなの人間として当然じゃないかと思っていれば、煩悩でもなんでもないですね。
 いつでしたか、ある方から、親鸞の話となると、煩悩、煩悩と言う。煩悩、煩悩と何で人間のきたないところといいますか、いやなところばかり抉り出して言うんでしょうか。もっとどうして明るく、いいところを言わないんでしょう、というような指摘を受けたことがあります。そういう話はもうわたしは嫌だよ、ということだったんだろうと思います。
 思わずカッときたり、あるいは、食卓に刺身の皿が二つあると、こっちの方がちょっと大きいな、おいしそうだなと取ってしまう。欲を出す。しかし、そんなの別に人間にとって普通じゃないか、と思っていれば、その人にとっては煩悩なんてどこにもないと思うんです。だから、煩悩、煩悩と、なんでそう人間の暗いところばかり言うんだと反発してしまいます。
 しかし、そのことを煩い悩んでしまうと、つまり、何でこんなしょうもないことに、と後で、もう済んでしまってから、煩い悩んでしまうと、そこに煩悩が姿を現すのです。刺身の皿をこっちがいいと取ってしまってから、つまらんことで、と自分がいやになるといいますか、恥ずかしくなります。カッとしてから、済んでしまってから、「ああ」と思ってしまう。
 これが煩悩だとすれば、これまさにわれらの道徳じゃないかと金子さんは言うわけです。

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