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矛盾について(その397) ブログトップ

9月4日(日) [矛盾について(その397)]

 金子氏の言う「煩悩という道徳」を普通の道徳と比較してみますと、普通の道徳は何かをするときに、どうしようかと悩むわけですね。するべきか、せざるべきか、で悩む。例えば、嘘をつくということを例に上げますと、ここは嘘をついてうまくすり抜けたら得だな、なんていう頭が働いて、さて嘘をつこうか、だけど嘘はつくべきじゃない。こんなふうに、つこうかつくまいかと迷って、いや、嘘はつかずに正直にいくべきだというのが普通の道徳です。
 ところが、煩悩という道徳は、嘘をついちゃってから、事後的に「すみません」となる。済んじゃってから「すみません」となるのが、この道徳の本質です。「すみません」というのは普通の道徳と比較してみますと、してしまってから「すみません」と頭を下げるのですから、普通の道徳よりもある意味じゃ劣っている。普通の道徳は、嘘をつかない、腹をたてない、人の悪口を言わないのですから、嘘をついちゃってから、人の悪口言っちゃってから「すみません」と謝るよりも、普通の道徳の方が上にみえますね。
 ぼくは大学でカントという人を勉強したんですが、カントの倫理学というのはまさにそれです。つまり理性の命令に従えるかどうか。カント倫理学を一言につづめちゃいますと、理性の命令に従うのが善である、となるわけです。理性の命令に従えなければ、その裏にどれほどよんどころない事情があろうが、それは悪である。だから、自由にどちらかを選べるときに、善を選ぶ、理性の命令に従う、これができるかどうか、これがカント倫理学の根本です。

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