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矛盾について(その410) ブログトップ

9月17日(土) [矛盾について(その410)]

 「音には強い音があり、弱い音がある。かたい声があり、そしてやわらかい声がある。強と弱は反対であり、こわいとやわらかいとは反対である。強いとこわいは似ている。弱いとやわらかいとは似ている。ところが、いちばんの理想は、声はやわらかにして強かるべしというのです。やわらかだけれども弱いのはだめです。強くてかたいのはことに悪い」。これは金子氏がお経を読む声について述べているのですが、彼はこころも身体も同じように「やわらかにして強かるべし」と言われます。
 この頃、世の中に「強くてかたい」声が満ち満ちているような気がします。
 もうだいぶ前になりますが、NHK連続テレビ小説「おひさま」がおもしろかった。戦争が終わり、村の国民学校ではこれまでの軍国主義教育が否定されて、教科書の墨塗りなどが行なわれるのですが、そこに新しい校長が着任します。その新校長について、主人公の陽子先生が「どうもあの校長先生はイヤだった」と述懐するのです。その校長は「あんな馬鹿げた戦争」というように戦前を全否定し、戦後の新しい教育理念(子ども一人ひとりの個性を大切に)を得々と教師に向かって説くのですが、それがたまらずイヤだったというのです。
 陽子先生は戦前の軍国主義教育を肯定しているのではありません。彼女は、子どもたちに教えなければならない大事なことをそっちのけにして、竹やり訓練などをしなければならなかったことが辛くて仕方がなかったのです。そんなことをしている自分に疑問を感じていたのですが、しかし上からの指示でやらなければならなかったし、それにいくぶんかはその必要性も感じていたのではないでしょうか。だからこそ、戦争が終って教育方針が180度転換したとき、どんな顔をして教壇に立てばいいのか、身を切られるような苦しさを覚えたのです。これまで教えてきたことに墨を塗らせなければならない苦しさ。
ところが新任校長にはそんな気配は全く感じられず、「わたしはずっと前から“あんな馬鹿げた戦争”がどうなるかは分かっていた」かのように言うのが、陽子先生にはたまらずイヤだったのです。
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