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矛盾について(その424) ブログトップ

10月1日(土) [矛盾について(その424)]

 普通は、割り切れない、割り切れないと小言をいうものでしょう。「割り切れないなんておかしい、どこか間違っている」と思うものです。なのに「割り切れないのが人生というものだ」と断念できるのはどうしてでしょう。
 もう一度、余ったクッキーが手に入らなかったことに不満をもつ弟に登場してもらいますと、彼は何で自分の方が少ないのかと思っています。何でお兄ちゃんが3つで、ぼくは2つなのかと。そこには少しでもひとより多くという貪りがあります。その証拠に、お兄ちゃんが2つで、自分が3つだと、その決定に何の不審も持ちません。やはりそこには貪りがあるのです。
 そのことに気づきませんと、弟だからといってお兄ちゃんより少ないのは理不尽だと思い、ひたすら「おかしい」と思い続けます。でも「これは貪りだ」と気づきますと、何か落ち着かなくなります。一方では、何でぼくが少ないのかと不満をもちながら、同時に、そう思っている自分がどこか後ろめたくなるのです。
 ひとより少しでも多くという思いと、そう思うことの後ろめたさと。ここに正真正銘の割り切れなさがあります。割り切れなさの最たるものはこの煩悩です。煩悩というのは、一面では、欲を起こし、腹を立て、愚痴を言うことですが、他面では、そのことを煩い悩むことです。ただ欲を起こし、腹を立て、愚痴を言うだけでしたら、それだけのことです。それを煩い悩むから煩悩なのです。

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