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矛盾について(その434) ブログトップ

10月11日(火) [矛盾について(その434)]

 金子氏が「あらゆる宗教の根源は悲しみである」と言うとき、宗教は悲しみに寄り添うものだと言っているのです。しかしどのようにして?苦しみは、そのよってきたるところを突き止めることで、すっかりとはいかなくても取り除くことができるでしょう。しかし、悲しみをどのように取り除くことができるのか。
 「涙を救うものは涙です。悲しみを救うものは悲しみです」と言われるのですが、どういうことでしょう。
 悲しみは明日を悲しむのだと言いました。ならば明日を思わなければいいじゃないかといっても、そうはいきません。明日のことを思わざるをえないのです。今日に欠如がある以上、明日に願いをかけざるをえないのです。しかしその願いが満たされるとは思えない。それが何とも言えず悲しくて、こころが折れそうになりますが、そのときです。向こうから願ってもらっていると感じることがあります。悲しみが救われるのはそのときです。
 悲願ということばがあります。努力の末、ようやく悲願が達成された、などと言いますが、もともとは仏の願い(慈悲の願い)を指すことばで、ぼくらの願いではありません。もちろんこちらから願うのです。でも、すでに願われている。だからこそ願い続けることができるのです。願いがかなわなくても挫けず願うことができるのは、もうすでに願われているからです。そのことに気づいたとき、願いがかなわない悲しみが、仏の悲願によって救われるのです。
 ぼくらの涙を救うのは仏の涙です。

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