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矛盾について(その438) ブログトップ

10月15日(土) [矛盾について(その438)]

 金子氏は自分の歩んできた道を振り返り、こんなふうに述懐しています。人生の前半において、自分が阿弥陀仏の実在を証明しなければならないと考えてきたが、あるとき阿弥陀仏の実在は阿弥陀仏自身がしていることに気づいた。そして自分が阿弥陀仏の実在を証明するどころか、反対に阿弥陀仏が自分の実在を証明してくれていることに気づいたと。
 まず考えねばならないのは、どうして金子氏が阿弥陀仏の実在を証明しなければならないと思ったかということです。それは何と言っても、金子氏にとって阿弥陀仏の実在が疑わしかったからでしょう。もしその実在に一点の疑いもなければ、それを証明しようなどと思うはずがありません。彼は自身の生い立ちを振り返り、真宗寺院に長男として生まれたことから筆を起こしています。そのことが彼の人生を決定付けたということを。
 「僧として生まれたものは、その宗とするところの教法を自ら信じ、人にも教えて信ぜしめねばならない」のです。鋭い感受性を持ちながらも、おそらくは、ものごとを知的に解明したいという欲求が強い故に、阿弥陀仏や浄土について、いまだその実在が証明されていないと思われたのでしょう。つまりは自分で納得できる根拠がなかったのです。何かが存在することを証明しようとするときというのは、多分存在するとは思うのだが、確信はない、そして多くの人がそれに疑問を抱いているような場合でしょう。そこで自ら確信し、他の人も確信させられるように、証明という作業に取り掛かるのです。

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