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矛盾について(その454) ブログトップ

10月31日(月) [矛盾について(その454)]

 ぼくらに宗教が必要になってくるのはどんなときでしょうか。金子氏は次のように述べます、「宗教的要求がおこるということはどういうことであるかというと、人生に問題が起きたときといえる。これを私は、人生における問題と人生そのものが問題であるというように二つに分けている。肉親の不幸や会社のトラブルなどは人生の経験する問題、つまり人生における問題である。これが手がかりになって人生そのものが問題になってくる、ということが宗教的要求である」と。
 金子氏は「人生における問題」と「人生そのものの問題」を分け、宗教が求められるのは後者の問題だと言います。
 もし「人生における問題」にとどまり、「人生そのものの問題」にまで至らなかったら、それは宗教的要求とは言えないでしょう。現世利益を求める宗教的要求ではあっても、ほんものの宗教的要求ではないでしょう。では、どう違うのか、「肉親の不幸」の例で考えてみます。
 わが子が重篤な病に罹ったとしましょう。そうなると驚き慌てて、八方手を尽くして治して上げたいと思うのが親心です。優秀な医者がいると聞けば、どんなに遠方でも治療をお願いしに駆けつけるでしょう。そしてご利益があると聞けば、寺社めぐりをして病気平癒の願掛けをする。ここまでは「人生における問題」です。
 さて、「これが手がかりになって人生そのものが問題になってくる」とは、どういうことでしょう。どんなに手を尽くしてもわが子の病状が一向によくなる気配がないとき、ぼくらの心にこんな思いが浮かび始めます、「なんでよりによってうちの子が」と。このとき、人生そのものが問題として浮かび上がってくるのです。

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