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矛盾について(その473) ブログトップ

11月19日(土) [矛盾について(その473)]

 宗教には、シャーマニズムであれ、仏教であれ、キリスト教であれ、その他どんな宗教であれ、その底になんらかの「願い」があります。そしてそれを神仏に「祈る」。としますと、病気平癒を「願い」、それを神仏に「祈る」のが、どうして「ほんとうの道」ではないのでしょう。
 何を「願い」、何を「祈る」のが「ほんとうの道」なのでしょう。
 いまここに生きていることが祝福されること、これを願い祈ることです。いや、もうすでに祝福されていると気づくことです。それを自ら願いながら、実は願われていることに気づくことです。祈りながら、同時に、祈られていることに気づくことです。これはしかし病気平癒を祈願するのと、どんなふうに違うのか。何が「ほんとうの道」と「ほんとうではない道」を分けるのでしょうか。
 福島の原発事故で大量の放射能が撒き散らされました。地震や津波は一瞬の暴力ですが、放射能は土や水、そして農作物やそれを食べる家畜の中に潜み、長期間にわたってジワジワと影響し続けます。事故から少しして東京の多くの市民たちがパニック状態の中でミネラルウォーターの買いだめに走ったという報道がありました。そして京都からも大文字焼きのニュースが入りました。
 大文字焼きの焚き木に陸前高田の松を使おうという話があったそうです。陸前高田には海岸沿いに見事な松林がありましたが、その松が一本を残して全てなぎ倒されました。そこで津波で亡くなった人たちの供養に、その倒れた松を大文字で燃やしてもらう手はずになっていたのですが、主催者の中に反対論があって中止となったというのです。もちろん放射能を心配してのことです。

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