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矛盾について(その480) ブログトップ

11月26日(土) [矛盾について(その480)]

 恨みは次第に薄らぎ、悲しみが次第に浄化されていく。「己の悲しみ」だったのが、「この世の悲しみ」に変わっていくと言うべきでしょうか。
 「己の悲しみ」はそのまま受け入れることができませんが、それが「この世の悲しみ」に昇華することによって受容することができるようになります。「それでよし」と善意に受け取ることができるのです。生きることにおける悲しみの大切さを受け止めていくのです。
 金子氏はそのあたりをこう言います、「人間にとりましては、悲しみと喜びというこの二つだけは根本感情で、あとはみんな派生的なものであります。ですから私は前にどこかで話したんですが、人と生まれし悲しみを知らない者は、人と生まれし喜びも知らないと、こう私は思っております」と。
 悲しみは少ない方がいいのはその通りでしょうが、しかし悲しみが少ない分だけ、喜びが薄くなるのもまた否定できません。
 念仏は自分にとって都合の悪いことも「ようこそ、ようこそ」と受容する精神ですが、どうしてそんなことができるのかと考えてみますと、自分がすでに受容されていることに気づくからでしょう。自分がものごとを善意に受け取ることができるのは、自分がすでに善意に受け取られていることに気づくからに違いありません。

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