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矛盾について(その486) ブログトップ

12月2日(金) [矛盾について(その486)]

 「わたしは何ものであるか?」という問いの場合も、それに先立って「おまえは何ものか?」と問われていることはあるでしょう。これまで思いもしなかったが、そう問われてはじめて、それが自分の問いになるというとき。でも、問われなければ、自分で問うことはない、とは言えません。誰に問われたのでもなく、自分で「わたしは何ものか?」と問いますし、誰かに問われてという場合も、それはきっかけを与えられただけのことで、それを機に、自分で「わたしは何ものか?」と問うのです。そして自分でその答えを必死で探す。自分で問うたのですから、自分で始末をつけるしかありません。
 しかし「このまま生きていていいのか?」は自分の中から出てきた問いではありません。向こうから投げかけられた問いです。自ら問うているのではなく問われているのです。どうしてそんなことが言えるのでしょう。「わたしは何ものか?」と同じように、誰かから問われなくても、自分で「このまま生きていていいのか?」と問うこともあるのではないでしょうか。いや、それはないのです。
 再度確認しますが、この問いは「知ること」ではなく「感じること」についての問いでした(11月29日)。としますと、この問いは自分の中からではなく、向こうからやってきたということになります。感じることは、こちらからどうしようもありません。感じたいと思って、感じられるものではありませんし、感じたくないと思っても、感じてしまうものです。感じることは向こうから否応なくやってくるのです。

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