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12月16日(金) [矛盾について(その500)]

 病気のことを考えてみます。
 同年輩のものが集まると、もう決まって身体の話題になります。やれ血圧がいくらだ、やれγGTPがいくらだ、やれ悪玉コレステロールがどうだこうだといつまでも話が続き、もうちょっと生産的な話題はないものかとため息が出ます。かく言うぼく自身、血圧を下げる薬に縛られています。医者にもう少し薬は減らないものでしょうかと言いますと、「減らしてもいいですよ、でもそうしますと間違いなく血圧は上がります」と脅され、朝3錠、夜1錠が習慣化してしまいました。どうしてこうも身体のことを気にかけ、薬に気を遣わなければならないのかと思うのです。
 煩悩を消滅させることができないように、病気を退治することはできないでしょう。ところが、ぼくらはともすると病気をやっつけようと思います。闘病と言いますように、やはり病気は闘うものです。前にこんなことばがありました、「病むときには病むがよろしいということもあるのだし、死ぬときには死ぬがよろしい」と。晴れた日は気持ちいいが、雨もまた風情があってよし、と思うように、元気なときは気分がいいが、病気のときもまたよしと思うことができれば…。
 昔、河合隼雄さんがどこかで「煩悩の抱きしめる」という言い方をしていましたが、同じように「病気を抱きしめる」生き方はできないものでしょうか。病気と闘うのではなく、病気とうまくつきあう。そもそも仏教は諦めの宗教です。釈迦の説いた真理を四諦と言います。四つの諦めで、その第一が「生きることは苦しみである」という諦めです。ぼくらは諦めるというと、うなだれて生きる気力を失くしてしまうというイメージを持ちます。だから人を励ますときに「諦めちゃダメだよ、最後まで頑張らなくちゃ」と言うのです。仏教が若い人に受け入れられにくい一番の原因はここにあると思います、諦めを説くような宗教はイヤだよと。
 でも、諦めるというのは、明らかに見るという意味です。
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