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12月20日(火) [矛盾について(その504)]

 「あの世」は「この世」のあり方を「そこにおいて見る場所」であると言ってきましたが、これではまだ言い尽くされていないような気がします。「あの世」は「この世」のあり方を「そこにおいて見る場所」であるというよりも、「あの世」は「この世」のあり方が「そこにおいて見られる場所」ではないでしょうか。ぼくらが「あの世」という場所から「この世」のあり方を見るというよりも、ぼくらの「この世」のあり方が「あの世」という場所から見られているのではないでしょうか。
 ここに「懺悔」ということばが出てくる意味があります。
 金子氏もどこかで指摘していますように、ぼくらは「お天道さまが見てござる」と言われて育ってきました。どこかから見られているから、自分に嘘をついてはいけない、素直に「ごめんなさい」と謝らなければならないと。これが「懺悔」でしょう。人に向かってはなかなか正直になれないものです。どこか格好をつけてしまう。でも自分に対して格好をつけてはならないと思うのは、どこかから見られていると感じるからでしょう。すべてお見通しなのですから、誤魔化そうとしても駄目です。かくしてこころの中で「すみません」とつぶやくことになります。
 その「どこか」というのが「あの世」ではないでしょうか。「あの世」には亡くなった父や母がいて、ぼくらのこころの中までみんなお見通しですから、ぼくらの「この世」のあり方に対して「あいすみません」と頭を下げるしかないのです。

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