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矛盾について(その510) ブログトップ

12月26日(月) [矛盾について(その510)]

 人生の「味わいは甘いのみではない。苦いものもあれば、酸いものもある。それこそ意味と言われるものであろう。その味を味おうていくところに精神は育っていくのである。そしてその経験が人生の有難さを感ぜしめるのである」(金子大栄氏)。食い物ならば、苦いものや酸いものは避けるようにして、できるだけ口に合うものを選ぶこともできるでしょうが、人生はそういうわけにはいきません。うまいもの、甘いものはわずかで、ほとんどが苦いもの、酸いものに違いありません。だからこそ「こんな苦いもの、酸いものにどんな意味があるのか」という切実な問いが生まれるのです。
 苦いもの、酸いものにどんな意〈味〉があるのか、と言われれば、苦いものには苦い味があり、酸いものには酸い味があるのです。ニガウリは苦いし、梅干は酸っぱい。はじめて食べるときは閉口します。こんなもの二度と食べるものかと思うでしょう。でも、二度・三度と食べるうちに、結構いけるじゃないかと思うようになり、ついにはニガウリの苦さ、梅干の酸っぱさの虜になってしまうこともあります。それでこそ豊かな味覚をもつと言えるでしょう。
 同じように、人生の苦い味・酸い味を「これもまたよし」と受け入れることができて人生の意味を味わったと言えます。甘い味しか受け入れることができませんと「人生の意味は何か」と惑い続けることになるのです。では、どうすれば苦い味や酸っぱい味を「これもまたよし」と受け入れることができるのでしょう。リストラにあったり、重い病にかかったときも、「これもまたよし」と受け入れることがどうしてできるのでしょう。
 これまで何度同じことを言ってきたか分かりませんが、しかし言えるのはただひとつ、「こんな自分がそのまま受け入れられている」と感じるからです。こんな自分が受け入れられていると感じるから、どんな味も「これもまたよし」と受け入れることができるのです。

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