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矛盾について(その517) ブログトップ

1月2日(月) [矛盾について(その517)]

 いつからか目覚まし代わりNHKの朝ドラを観る癖がついてしまったのですが、今は「カーネーション」というドラマをやっています。その前はたしか「おひさま」といったと思いますが、どちらも戦争に翻弄される庶民の姿をうまく描いていると感じました。ぼくはかろうじて戦争を知らずにすんだ世代ですが、戦時中の人々のやりきれない思いがヒシヒシと伝わってくるのです。
 さて、金子氏は親鸞の教えの本質について、こう述べます、「聖人は越後へ流されて東国を遍歴せられました。その間に、ことに感じられたことなのでありましょうか、『一切の苦悩の群生海』という言葉がある。その苦悩の群生海という言葉は、おそらく庶民に親しんで、庶民の悩みというものに同情、同感しての言葉でありましょう。その頃の聖人の思想には、時の支配者、権力階級にたいするレジスタンスの意味もあるのだといわれています。そういうことは、私にはよくわからない。レジスタンスというようなことであれば、農民を扇動して、何か社会運動でもおこされそうなのでありますが、そうではなしに、どうにもならない時代、どうにもできないで、悩める農民に同情しつつ、その悩みをどうしたならば解決することができるかという、そこに聖人の生涯の求道があったのでしょう」。
 そういえば、ある時期、親鸞の思想をレジスタンスの思想として捉えようという潮流がありました。ぼく自身、若い頃、服部之総の『親鸞ノート』を貪るように読んだのを思い出します。親鸞が「時の支配者、権力階級」の側ではなく、「悩める農民」の側にいたことは間違いありません。しかし「農民を扇動して、何か社会運動」を起こそうとしたのではないこともまた確かなことです。蓮如の時代の一向一揆についても、そのようなものとしてイメージするのは根本的な錯誤であると言わなければなりません。
 では親鸞のスタンスはどこにあったのか。時代の悪を悩む庶民たちとともに悩みながら、その悩みが喜びに転化する道を説こうとしたのではないでしょうか。

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