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1月15日(日) [矛盾について(その530)]

 困っている人を「あはれみ、かなしみ、はぐく」まなくていいんだということではありません。そうしようと思うのです。でも「おもふがごとくたすけとぐること」ができない。日々の生活が待っているからです。
 そしてその生活は何ともお恥ずかしいものです。行動は華々しいものであっても、生活の内実はひとさまにお見せできるようなものではありません。そこにはドロドロしたものが渦巻いています。そのことを忘れて、人を「あはれみ、かなしみ、はぐく」もうとするとき、思いがけない落とし穴にはまってしまうと親鸞は言っているのではないでしょうか。
 浄土の教えというのは、ドロドロした生活に寄り添うもので、華々しい行動の原理ではないのです。金子氏はこう言います、「私たちの会得しております浄土の教えというものは、これほど生活に即したものはないのである。行動の原理とはならぬが、生活に即するという点においては、おそらく仏教のうちにおいて、親鸞の真宗の教えよりほかにないのではないかと、こういいたいのであります」と。
 それにしても浄土の教えは「生活に即したもの」というのはどういうことでしょう。そして「行動の原理となるもの」とどう違うのか、もう少し考えを進めていきたいと思います。そもそも生活と行動はそうはっきり分けられるものではありません。生きていることは、すべて生活だということもできるでしょうし、すべて行動だといっても間違いではないでしょう。
 どう見分ければいいのか。

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