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矛盾について(その548) ブログトップ

2月2日(木) [矛盾について(その548)]

 かくして問題の本質が見えてきたようです。己の本心とどうつきあっていくか、これです。本心とは何でしょう。どんなときにキレそうになるかを考えてみれば、本心の正体をつかむことができます。加藤青年の場合、ダンプが自分の指示を無視して走り去ったとき、そして、つなぎがなくなっていると思ったとき、等々でした。どれも自分が無視されたり、自分の存在が否定されたと感じたときです。そんなときムラムラと腹が立ちます。反対に、自分が褒められたり、自分の存在が認められたりしますと、ぼくらはホクホクします。ぼくらは承認がほしいのです。
 仏教ではこれを我執と言います、あるいは煩悩と言いますが、本心とはこの我執、煩悩のことです。
 本心とつきあう、と言いました。ぼくらの中に煩悩があります。これは如何ともしがたい。河合隼雄さんはオウムに走った若者たちのことを「煩悩を抱きしめることができない人たち」と評しましたが、煩悩を消し去ろうとしてもできる相談ではないということです。だから、つきあうしかありません。抱きしめるしかありません。キレそうになるとき、飛び出してきた煩悩の虫をグッと抱きしめる、それしかありません。それができるかどうか、ここにすべてがかかっていると言えます。
 しかしどのようにして?
 もう一度キレる瞬間に戻りましょう。

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