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3月13日(火) [矛盾について(その588)]

 「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」ということ。
 吉本はこんなふうに言います、「善いことをしていると思っている人を見ると『面白くないなあ』と思うことがあるのではないでしょうか」と。あるいはこうも言います、「善いことばっかり言う奴と善いことばっかりやる奴とが身辺に満ちてくると、息苦しくなることがあるでしょう」と。
 何だか天邪鬼に見えるかもしれません。でも、吉本が「面白くない」とか「息苦しくなる」と言うのは、「オレはこんなに善いことをしているんだ」という顔をしている人に対してであって、何の気なしに善いことをしてしまう人に対してではありません。こんなふうにも言います、「人間はだいたい、『善いことをしている』と自分が思っている時には、『悪いことをしている』と思うとちょうどいいのではないでしょうか」と。
 「父母の孝養のため」に念仏するというのも「なにか浮かない」感じがします。
 死んだ父母のことを想うのは自然なことです。手をあわせて南無阿弥陀仏と口ずさむこともあるでしょう。でも、そうするのは当然というように、亡き親の供養のためにと言って、お坊さんにお経をあげてもらったり、念仏を称えるというのは「なにか浮かない」感じがしませんか。
 親鸞もそう感じたのではないでしょうか。そこから「親鸞は、父母の孝養のためとて、一返にても念仏まうしたること、いまださふらはず」ということばがでてきます。これまた世の常識にまともにぶつかるでしょう。顰蹙を買うかもしれません。でも「なんだか変だ」と感じる。

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